トーチソング

方向音痴 車に轢かれ

8月1日(月) ゴジラ、ヒトラー。

 ひと月ぶりに日記を書く。昔から、こういう類が続かない性質なので、期待はしていなかったものの、三日坊主にもならなかったのは情けない。
 8月に入ったんだから、シャキッとしようと思って、今日は7時過ぎに起きた。
 洗濯、皿洗い、部屋の掃除、シーツの交換等、放っていた雑事を午前中に片付け、昼寝をした後、映画を観に行った。毎月1日は少し安く見られるということで、せっかくなので2本観た。
 タイトルの通り、『シン・ゴジラ』と『帰ってきたヒトラー』を観た。
 感想をちょろっと書いて、寝ようと思う。

 まず、『シン・ゴジラ』。
 面白かった。ビルが壊れて、橋が崩れて、電車が吹っ飛ぶ。東京が滅茶苦茶になるのを、ハラハラしながら、どこか他人事のようにワクワクして観られた。
 印象的なのが、ゴジラの見た目が気持ち悪いという点。今までのゴジラ作品をまともに見てないからなんとも言えないが、僕は、ゴジラって、恐竜というか、イグアナの超巨大版というか、そういうゴツゴツとした体皮に覆われた巨大な爬虫類のイメージがあった。ところが、シン・ゴジラは違った。黒い表皮のところどころが裂けていて、赤いびらん状の肉が露わになっている。血や肉をまざまざと感じさせて、なんとも生々しい。ここがとんでもなくすごい。ぜひ劇場で見てほしい。
 あと、正体不明の生物が人類に立ちはだかるという構図もあって、やっぱり「エヴァ」の使徒を髣髴とさせる。燃え上がる東京を背景に立ち上がるゴジラの姿は、「ナウシカ」の巨神兵や、使徒・サキエルと、どうしてもダブる。
 ゴジラ放射性物質の賜物という設定は元来のものだけど、、3・11が『シン・ゴジラ』を生んだ、というか、ゴジラを日本に帰って来させた、というのは否定できないだろう。そもそも初代ゴジラ第五福竜丸事件がきっかけに作られた。敗戦間近の、広島・長崎への原爆投下から始まる核への恐怖は、この事件を機に日本全国、そして世界へ波及する。この怪物は、今も昔も、核の惨劇から生まれたのだ。さて、同じ敗戦国のドイツにも、また違う怪物が呼び戻された。

 『帰ってきたヒトラー』。
 2014年のドイツに、焼身自殺したはずのヒトラーがタイムスリップで飛ばされ、物まね芸人として再び大衆を掌握していく話。発想は面白いし、やりたいことは分かるけど、それほど面白くはなかった。こういう作品がドイツで制作されて、世界中で上映されることに意味がある、って感じだろうか。ヒトラーが明らかに間違ったことは言っていないということ、そしてヒトラーが周囲の人々を惹きつける魅力を持った、いわば怪物であることに焦点が置かれている。そしてその怪物は、タブーとして封印しきれるものではなく、人々によって作られた存在だということを強く戒めている。
 とはいえ、ヒトラーのタブー化は、年々緩和されてきている。数年前には、『ヒトラー 最後の12日間』が上映された。ドイツ語でヒトラーを描く映画としては世界初であり、ヒトラーが悪魔や独裁者としてカリカチュアライズされたのではなく、国の運命に絶望する指導者、人間として描かれたのは、戦後が一区切りついたということを物語っている(「ゴジラ」では、「戦後は続くよどこまでも」という皮肉めいた台詞があったが、終盤、日本政府は国連安保理と対抗し、戦後と訣別しようという姿勢を見せた)。そんなわけで、今作には「最後の12日間」をはじめとするヒトラー映画へのリスペクトが見られる。一時期、ニコニコ動画で流行した「カイテルヨーデル、クレープス、アンポンタン」のシーンのパロディシーンもあって、笑ってしまった。
 作中には、ヒトラーに賛同する人がちらほら出てくるわけだが、彼らが口にする問題のほとんどは人種と移民についてで、その深刻さが感じられる。戦後70年を機に、歴史のタブーと向き合おう、というよりは、どこか必要に迫られて、歴史を繰り返すまいと警鐘を鳴らしている、といった印象を受ける。
 
 3・11が日本にゴジラを蘇らせた一方、ドイツでは移民問題ヒトラーを復活させた、とかいい加減なことを書いたけど、早い話、『シン・ゴジラ』面白かったし、みんな観たらいいと思う。
 ところで、「シン・エヴァ」はいつ完成するんでしょうね。学生のうちに観ることは叶わないのかな。

追記(8月16日): 先日、サークルのOBと『シン・ゴジラ』について話したとき、ゴジラは3・11だけじゃなくて、諸外国を象徴しているのでは、という考えが挙がった。あと、問題の内外を問わず、これは一種のシミュレーションだよね、という話も。考えてみれば「ヒトラー」のほうもシミュレーションと見ることが出来るかもしれない。